2013/03/04

鎌倉のはなし② お墓とかやくらとか


鎌倉の話の続きです。


1月後半から2月前半にかけて二回に分けてやぐらなどをめぐってきました。

  • 1回目は鎌倉時代のはじまり
  • 2回目は鎌倉時代のおわり

とテーマを決めて行ってきました。



①鎌倉時代の始まり

鎌倉駅を降りて鶴岡八幡宮など目もくれずに右折、道なりにずっと歩いてゆくと、宝戒寺があります。


ここは②で触れるとして、道なりに左に曲がり、まっすぐ歩いてゆくと横浜国立大学付属中学校があります。


校門手前の路地を右に曲がり途中道々にある案内板を頼りに歩みを進めると大蔵幕府跡があります。





ここは鎌倉時代初期に幕府が置かれていた場所です。


幕府跡を左折してまっすぐ行くと白旗神社が左手に見えます。






この白旗神社にお参りし、脇の道の階段を上りきると頼朝の墓があります。






頼朝に手をあわせ、きょろきょろしていると何やら怪しげなけもの道が。


そこは危なさそうなので階段を下りてしばらく行くとそのけもの道の通じる先と思われる場所がりました。








この近辺には同時代のみなさんのお墓が集積しているようで、北条義時、大江広元、毛利季光、島津忠久、三浦一族などのお墓が大集合しています。

です。


600年ほど後に明治維新の原動力となる薩摩と長州の祖の墓が隣同士にあるのって面白いですね。



②鎌倉時代の終わり

2週間後、鎌倉時代の終わりを巡りました。


①でスルーした宝戒寺





こちらは北条氏の館があった場所で、後醍醐天皇の命を受けた足利尊氏により建立されたものです。


その裏門の通りを奥に進み、途中ちょっと寄り道して紅葉山やぐらと滑川の端からの風景を見学。


北条氏の館跡である宝戒寺や菩提寺であったという東勝寺のすぐそばにあるこのやぐらも北条氏ゆかりの人物が葬られているといわれます。







また元来た道に戻り奥に行くと北条家の菩提寺で滅亡時、最後に立てこもったという東勝寺跡。


発掘の際には当時の瓦や陶磁器などが出土したそうです。


著作期限切れで公開されている吉川英治の「私本太平記」を先日30年ぶりくらいで読みました。


本の中の描写で最後の宴をここで催す様子が思い起こされました。





この裏手には最後の得宗、北条高時腹切りやぐらと呼ばれるやぐらがありました。





高時や高時と運命を共にした方々に手をあわせました。


人様のお墓ですので写真は撮りませんでしたが、やぐら内部の卒塔婆は宝戒寺と高倉健さんのものが見られました。
健さんは名越流北条氏の末裔とのことです。)


観光地化している近隣の神社仏閣とは違い、人影もまばらな薄暗い場所に位置するこれらの場所を巡り、敗者の痕跡はやはりさみしい思いをするものなのだなあと感じました。


次に訪れる際には何かお供えと共に来たいと思います。





ところでこの腹切りやぐら、祇園山ハイキングコースのスタート地点にもなっています。


周囲の史跡のおどろおどろしい話を知らなければ、全部のどかな風景の一部に見えるのでしょうか。


娘が歩くようになったら、おにぎりもって一緒に歩きに来ようかな。

0 件のコメント:

コメントを投稿